そんなこんなで高校2年からは、バンド、ドラムに打ちこむ日々が続きました。
だいたい学校が16時10分に終わり、そのままWADA楽器のスタジオへアポ無しgoで16時30分から1時間練習。そのまま18時からかばでアルバイト。
毎日取り憑かれたようにそのルーティンを繰り返した高専生活でした。
思えばこの時、近道することなく地道に継続する自分の生き方が確立したように思います。
当時は空前のバンドブーム。
放課後は学校の垣根なくライブハウスや楽器店にバンドマンが集まり、そこで生まれたコミュニティから新しい友人や、音楽に巡り合うことが出来ました。
週末になるとどこかしらでLIVEがあり、やることなす事型破りな発想の連発で、どれだけ盛り上げられるかの競い合いの日々。
終演後には店長や先輩と熱い言葉を交わす打ち上げが繰り広げられ、その現場から羽ばたいた仲間達は現在、音楽業界をはじめとした様々な分野で活躍しています。
今思うとその営みこそある種の恵まれた教育現場だったのではと思います。
とまぁそんな音楽まみれの環境で過ごした青春時代。
あっという間に五年間の高専生活は終わりに近づき、ついに就活シーズンに差し掛かりました。
しかし当時の自分は、正直音楽の事で頭がいっぱいでした、、笑
ざっくりと東京へ出てみたい。
そして、高専で工学的な勉強をしておきながらその分野には何故かそそられず、
結果TV番組の制作会社に絞って就活を始めたのです。
しかしそういった企業への推薦を得る事はできなかったので、東京の名だたる大学の学生たちとの就活の戦いへ飛び込む事となったのです。
毎回遠征での就活だったこともあり限られた企業しか受けることが出来ませんでしたが、奇跡的に1社、最終面接までいけた企業がありました。
そこはあらかじめ重役さんとの会話だけで終わるからと言われており、落ち着いた気持ちで挑む事が出来ました。
しかし、そこで面接官から放たれた言葉が
「あなたが本当にやりたい事をやった方が良い」
でした。
恐らくその時、その面接官の方も自分も悟ったんだと思います。
「音楽がしたいんだ。」
という事を。
そしてそこできっぱり就活は終え
高専生活も残すエネルギーも使い果たし、卒業を間近に控えた段階で中退しました。
高専という学校は、自由を与える代わりに自己責任が伴われる所であり、不思議とその時間で
"自分の道を見つけ選ぶ力"
を養ったようでした。
そして、この高専生活で養ったもう一つ大きな力は、
"分析力" です。
ある一つの目的を達成するためには、
間にどんな壁があってどんな手段があるのか、トライアンドエラーを繰り返すことによって得られたデータに基づき仮説を立てながら、再度、トライして最適解へ導く。
という論理的思考能力。
厳しい先生のレポートのおかげでした。
様々な教育を受けて、ちょっと他とは変わった進路と思われるかもしれないですが、
ついに本格的に音楽人生がスタートしていきました。
おざわ一竜、20歳のことでした。
つづく
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