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#09上京する一竜。初めての東京、バンドで学んだ社会生活



22歳、周りは就職へ。

自分は、その頃ようやく一緒にバンドを組みたいメンバーが見つかりました。



高校の頃に組んでいたバンド、R18のボーカル藤原隆之(現おざわ一竜後援会会長)です


彼はすでに大学へ進み上京しており、自分も彼の後を追い上京する決意を固めました。


そして更に地元松江出身の新メンバー二人と出会い、四人で東京で活動することになったのです。


しかし結果的には残る二人のメンバーが諸事情により上京することが出来なくなり、奇しくもそのバンドは空中分解してしまいました。


上京していきなり訪れた困難。

しかしドラムの練習は辞めることなくただただ日々スタジオに入り続けていました。


すると当時ルームシェアをしていた同郷のドラマーの先輩がサポートしてるバンドのライブで代わりに叩くことがあり、それが結果的に正式メンバーへとつながりました。



そのバンドこそがTHE GURLと言うバンドです。


そこから約6年間そのバンドで活動することとなったのです。


ボーカルは茅ヶ崎出身の同い年。

話を聞けば聞くほど自分との人生の境遇ととても近く、自分よりもはるかに音楽知識もセンスも長けていて、とても尊敬出来る人間です。


当時は下北沢へ週2のペースで通いバンド練習、終われば酒を飲み交わし終電を逃して朝まできりなく語り合い、沢山の音楽や映画の魅力を僕に教えてくれました。


このバンドと出会い得た、刺激だらけの毎日は何よりの財産です。



まさにバンドとは、最少人数でやる会社のようなものであると僕は考えます。


メンバーが納得し合うまで、何時間も音をかき鳴らし、本気だからこそ時には喧嘩になるミーティングを幾度となく重ね、自分達の子供のような曲を創りあげ、お客さんにお金を頂き、それをステージで表現する。

そして常に新しいことに挑戦し続け、自分達の音をアップデートし続ける。



本気で作品を創りたいから、


自分の心の底を探らなくちゃいけないし、相手がなんでその意見・考えなのかを知る必要があるし、肌で知りたかった。

(メンバーはもちろん、多様な人を知りたくてとことん街へ繰り出し向き合う。東京はそういう意味でもとても勉強になりました。)


そして本気でやり続けたかったから、外界から刺激を日々受け続ける自分のわずかな変化を常にアップデートし続けれた。(自分を見つめ続けれた)


そのサイクルこそが、ヒトが新しいものを創るためには必要なんじゃないかと、今でも思っています。



そのサイクルはまちづくりにおいても、とても大切なことだと、そう信じています。


"創る"現場にいたからこそ、


また違う世界にうつっても

本気で"創り続けたい"と思ってます。



音楽やバンドやドラムの経験での気付きについて書き出したらきりがないので、次からは何故、おざわ一竜が帰郷し、政治の世界へ志しはじめたのかを綴ります。


よろしくお願いします!

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