「可愛い子には旅をさせよ」
そんな旅の始まりは16歳の春でした。
前話から登場してきた父を改めて紹介すると、建築業を営むパンチパーマでグラサンの頑固な親父でして、
子供の頃僕が嘘をついたりすると、ここではなかなか書きづらいレベルのお仕置きで根性を叩き直してくる、それはそれは厳格な父でした。
前談でも話したとおり、会社が倒産し母も出ていった時の自分は思春期で気が大きくなっており、バチバチの反抗期でした。
そんな高校一年生の終わり頃、
僕はいつものようにアルバイトで炉端かばへ出掛ける夕方、久しぶりに父とケンカをしました。
それは、高2から通学で使うバイクをネットオークションで買ったことについてでした。
父はしきりに「そんなどこのやつかも分からんもんから買って信用なるんか?」と言っていて、
僕は「そんな世の中悪い人だらけじゃないけん」と腹を立てながら出ていきました。
それが父との最後の会話でした。
後日、葬式もひと段落した時にボロボロのバイクが運ばれてきた時は、
それが自分へのメッセージなのだと感じました。
事務所開きでも話しましたが、父は沢山のヒントを残して逝っていきました。
人は死んだらそれで終わりなんだと。
今でもそうですが、僕の人生での最大の後悔は後にも先にも、父にお礼の言葉一つ言えなかった事です。
あれから15年が経ちました。
約5年前ぐらいから僕は1人旅が好きで、それもあってか、自分のルーツをめぐる旅をしていた時、
なぜ自分の名前が"一竜"と付けられたのか。
父が松江の夕日を観て大阪から移住してきたこと。
学生運動に明け暮れてたこと。
家族旅行のカーステレオは吉田拓郎だったこと。
離婚せずに居続けたこと。
色々と頭の中で点と点が繋がったようでした。
あの父なりの優しさを怒涛のごとく体感できた16年間は、これからの僕の人生に必ず生きてくると思っています。
次回は僕の人生を変えた、元カノの母のお話です。
是非お付き合いください!
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